「下天は夢か」の著者、津本陽が彼の抜群の調査力と洞察力で「本能寺の変」の謎に挑んだ角川の新書版。 信長の敵になりそうな人物は、追放された足利義昭や比叡山、四国長曽我部氏、越前朝倉氏、また徳川家康など、上げればキリが無いほど。 本書では結論は出していないが、牽強付会の説は排除した上で、細川親子の関与程度を匂わしている。 明智側はもっと大勢の同調者を期待したのだろうが、秀吉の「大返し」で情勢が逆転したと言う説は頷ける。
もっと色々な洞察があるのではと期待して読んだのだが、まともな結論だった。
幕末、会津藩は薩長相手に戦って負け、賊軍としてひどい仕打ちを受けた。 勝てば官軍と言う通り、薩長を美化しているが実態はかなりひどかった、と言うことを会津側に立って論じたもの。 確かに会津は御所守護職として頑張って孝明天皇の信任厚かったのに天皇の死後(毒殺の疑い濃厚だが)、15歳の幼い明治天皇を手中にした薩長が欲しいままにしたと言う面もあると思う。 左の写真は松平容保。 孝明天皇が会津を信頼していたのは事実のようで、その書簡を大事に保管しているとのこと。
ただ、原爆投下と会津攻めを同列に論じたところは理解できない。 また山口出身の安倍元首相が、会津に謝意をしめしたらしいが、軽い発言にまだまだ会津の人々は長州を許していない。まだまだ会津と薩長の間のわだかまりは解けないようだ。
永平寺の礎を作った人々と言うサブタイトルー著者は駒大教授から伊那の常円寺住職
勿論道元がメインだが、その前後の人々の行動・考え方など平易な文で読みやすく、前に正法眼蔵でギブアップした私には有難い。
時の中国「宋」に日本での師である妙全と共に渡ったが、妙全は程なくその地で斃れ、道元は中国曹洞宗の師、如浄禅師の元で修業し帰国した。 如浄の弟子の一人である寂円は道元の後を追って来日する。 最初は京都深草に興聖寺を開き布教活動を行い、比叡山から迫害された禅宗の一派、日本達磨宗(その開祖は平景清により殺される)の僧が何人も合流。 その後比叡山の天台宗は朝廷に、臨済宗も含め全ての禅宗の停止を求め許可されたため、道元は本山を北陸の地に求め永平寺を建立。 第二代、第三代は達磨宗から移ってきた僧であり、8歳で永平寺の門を叩いた螢山禅師はもう一つの本山、総持寺の開山となる。 (総持寺は最初は加賀に、明治の火災後鶴見に移転)
臨済宗が看話禅(公案を解く)を主体とするのに対して、只管打坐(ひたすら座禅)を旨とした。 また、臨済宗が時の幕府権力に近づき鎌倉中心に広げたのに対して、曹洞宗は権力から出来るだけ離れようとした。 道元は、「人間皆平等であること(平等相)、しかしそれぞれの人は独自性を持っている(差別相)」と説いた。 当たり前のことだが、とても自然な教えなのだろう。 螢山禅師が悟りの際言ったとされる「黒漆の崑崙、夜裏に走る」と「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」はまだ理解できないが、そのうち判ってくるかもしれない。
昨年、近くの禅寺に半年ばかり通ったが、そこの和尚さんが「自灯明」「法灯明」-自らを灯明とし、法を灯明とせよーと何度も言っていたが、それは理解できる。
日本の曹洞宗初期の方々が、とても自然な教えを身をささげて説いたことに感じ入った。
左から 道元、如浄、螢山 の3禅師
町内の図書館の本ばかりだったのが、本屋でこの文庫本を求めた。 子母澤寛の「勝海舟」より事実の探索が主体なので中々面白い。 半藤自身が長岡出身で、薩長を官軍と呼ばず西軍と言い幕府軍を東軍派と自称しているところも面白い。 日本の歴史はやはり戦国時代と幕末明治初期が断然興味深い。
勝海舟は幕末の小普請役40俵取りと言う下級武士の息子だったのに、時の幕府に請われて軍艦奉行として、幕府終焉の舵取りを任されたのだが、あの時代の先をしっかり見据えて、欧米に蹂躙された末期清朝のような愚かなことを避けて日本を救ったのだと思う。 西郷隆盛とは心で結ばれていて、西南戦争後には彼の名誉回復に随分心を砕いた。 怜悧な大久保利通とはあまり良い関係ではなかったようだ。 肝の据わらぬ最後の将軍慶喜とは気が合わなかったのだが、官軍が彼を厳しく処断しようとするのに反対し、蟄居処分にとどめ更に後日彼の復権にも力を注いだことも良く判った。 直心影流の免許皆伝だが、その刀を一切使わず剣の精神力を肝の据わり方に生かしたことがすごい。 坂本竜馬が、場合によっては彼を斬ろうとやって来て逆に肝胆合い照らしたと言うのもさすがに海舟だと思う。 勝・西郷・坂本、英雄合い知ると言うところだ。
福澤諭吉が「幕末まだ幕府に十分力があるのに薩長相手に交戦せず無血開城したこと」について彼の「やせ我慢の説」の中で批判しているが、海舟がそれは福澤が幕末の騒乱時その外に居たのに、その後日本が平和になってからの批判だからとして相手にしていない。 江戸っ子が「何言ってやんでえ」と言うところか。
また「西郷さんは乱に居てこそ彼の価値がある」との半藤一利の意見に同感。 西南戦争は維新で理想の形とならなかったことに不満を持つ薩摩藩の武士たちの思いを一身に背負って理屈も言わず彼らに担がされ身を任せたのが彼らしい。
国の運命の分かれ目の時に海舟のような先見性ある人物が居てくれたことは有難いことだと感じ入った。 洗足池の傍に眠っているようだから、時間を作って行ってみようと思っています。
下の写真は順に、秋山好古、秋山真之、東郷平八郎