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イタリアからの手紙

 イタリア在住長い塩野七生さんのエッセイ。 一節一節が、彼女のイタリア史への造詣の深さをバックにして、辛口な批評マインドが気持ち良いテンポで語りかけてくれる。 胸をすく文とはこういうものだろう。
先般、イタリアへ人並な観光旅行をしたせいもあって彼女の文章が更に輝いてくるようだ。
「永遠の都」と言えば、ヨーロッパの人はそれがローマを指すことを知っているとのこと。 そして著者は「ローマが不滅の娼婦」のように思えると言う。 それは「自らは何も生産せず、養ってくれる男に不自由しない美しくしかも楽天的な女」だと。 パトロンはローマ帝国、カトリック教会、イタリアと変遷し現代は観光客がそれらに代わってローマを生き続けさせている、と言う。 イタリア人の好きなことは歌と愛と食だそうだ。 彼女が言うようにROMAの逆さ読みがAMORとは偶然だろうか。 (2010.10)

本能寺の変はなぜ起こったか

下天は夢か」の著者、津本陽が彼の抜群の調査力と洞察力で「本能寺の変」の謎に挑んだ角川の新書版。  信長の敵になりそうな人物は、追放された足利義昭や比叡山、四国長曽我部氏、越前朝倉氏、また徳川家康など、上げればキリが無いほど。 本書では結論は出していないが、牽強付会の説は排除した上で、細川親子の関与程度を匂わしている。  明智側はもっと大勢の同調者を期待したのだろうが、秀吉の「大返し」で情勢が逆転したと言う説は頷ける。

もっと色々な洞察があるのではと期待して読んだのだが、まともな結論だった。




偽りの明治維新

幕末、会津藩は薩長相手に戦って負け、賊軍としてひどい仕打ちを受けた。 勝てば官軍と言う通り、薩長を美化しているが実態はかなりひどかった、と言うことを会津側に立って論じたもの。  確かに会津は御所守護職として頑張って孝明天皇の信任厚かったのに天皇の死後(毒殺の疑い濃厚だが)、15歳の幼い明治天皇を手中にした薩長が欲しいままにしたと言う面もあると思う。 左の写真は松平容保。    孝明天皇が会津を信頼していたのは事実のようで、その書簡を大事に保管しているとのこと。   

ただ、原爆投下と会津攻めを同列に論じたところは理解できない。  また山口出身の安倍元首相が、会津に謝意をしめしたらしいが、軽い発言にまだまだ会津の人々は長州を許していない。まだまだ会津と薩長の間のわだかまりは解けないようだ。


座禅ひとすじ - 角田泰隆著

永平寺の礎を作った人々と言うサブタイトルー著者は駒大教授から伊那の常円寺住職

勿論道元がメインだが、その前後の人々の行動・考え方など平易な文で読みやすく、前に正法眼蔵でギブアップした私には有難い。


時の中国「宋」に日本での師である妙全と共に渡ったが、妙全は程なくその地で斃れ、道元は中国曹洞宗の師、如浄禅師の元で修業し帰国した。 如浄の弟子の一人である寂円は道元の後を追って来日する。 最初は京都深草に興聖寺を開き布教活動を行い、比叡山から迫害された禅宗の一派、日本達磨宗(その開祖は平景清により殺される)の僧が何人も合流。 その後比叡山の天台宗は朝廷に、臨済宗も含め全ての禅宗の停止を求め許可されたため、道元は本山を北陸の地に求め永平寺を建立。 第二代、第三代は達磨宗から移ってきた僧であり、8歳で永平寺の門を叩いた螢山禅師はもう一つの本山、総持寺の開山となる。  (総持寺は最初は加賀に、明治の火災後鶴見に移転)

臨済宗が看話禅(公案を解く)を主体とするのに対して、只管打坐(ひたすら座禅)を旨とした。 また、臨済宗が時の幕府権力に近づき鎌倉中心に広げたのに対して、曹洞宗は権力から出来るだけ離れようとした。 道元は、「人間皆平等であること(平等相)、しかしそれぞれの人は独自性を持っている(差別相)」と説いた。 当たり前のことだが、とても自然な教えなのだろう。   螢山禅師が悟りの際言ったとされる「黒漆の崑崙、夜裏に走る」と「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」はまだ理解できないが、そのうち判ってくるかもしれない。

昨年、近くの禅寺に半年ばかり通ったが、そこの和尚さんが「自灯明」「法灯明」-自らを灯明とし、法を灯明とせよーと何度も言っていたが、それは理解できる。 

日本の曹洞宗初期の方々が、とても自然な教えを身をささげて説いたことに感じ入った。

左から 道元、如浄、螢山 の3禅師

それからの海舟 (半藤一利)

町内の図書館の本ばかりだったのが、本屋でこの文庫本を求めた。 子母澤寛の「勝海舟」より事実の探索が主体なので中々面白い。 半藤自身が長岡出身で、薩長を官軍と呼ばず西軍と言い幕府軍を東軍派と自称しているところも面白い。  日本の歴史はやはり戦国時代と幕末明治初期が断然興味深い。

 勝海舟は幕末の小普請役40俵取りと言う下級武士の息子だったのに、時の幕府に請われて軍艦奉行として、幕府終焉の舵取りを任されたのだが、あの時代の先をしっかり見据えて、欧米に蹂躙された末期清朝のような愚かなことを避けて日本を救ったのだと思う。                  西郷隆盛とは心で結ばれていて、西南戦争後には彼の名誉回復に随分心を砕いた。  怜悧な大久保利通とはあまり良い関係ではなかったようだ。                              肝の据わらぬ最後の将軍慶喜とは気が合わなかったのだが、官軍が彼を厳しく処断しようとするのに反対し、蟄居処分にとどめ更に後日彼の復権にも力を注いだことも良く判った。     直心影流の免許皆伝だが、その刀を一切使わず剣の精神力を肝の据わり方に生かしたことがすごい。      坂本竜馬が、場合によっては彼を斬ろうとやって来て逆に肝胆合い照らしたと言うのもさすがに海舟だと思う。 勝・西郷・坂本、英雄合い知ると言うところだ。            

福澤諭吉が「幕末まだ幕府に十分力があるのに薩長相手に交戦せず無血開城したこと」について彼の「やせ我慢の説」の中で批判しているが、海舟がそれは福澤が幕末の騒乱時その外に居たのに、その後日本が平和になってからの批判だからとして相手にしていない。  江戸っ子が「何言ってやんでえ」と言うところか。

また「西郷さんは乱に居てこそ彼の価値がある」との半藤一利の意見に同感。   西南戦争は維新で理想の形とならなかったことに不満を持つ薩摩藩の武士たちの思いを一身に背負って理屈も言わず彼らに担がされ身を任せたのが彼らしい。

国の運命の分かれ目の時に海舟のような先見性ある人物が居てくれたことは有難いことだと感じ入った。  洗足池の傍に眠っているようだから、時間を作って行ってみようと思っています。

坂の上の雲

日清戦争・日露戦争で活躍した秋山兄弟と同じ松山の正岡子規を軸にした長編小説。
旅順攻略時の乃木希典にはかなり厳しい評価だが、当たっている面も多いのだろう。
司馬遼太郎の調査力は中々のものだと思う。 読み応えがある。
欧州で活躍した、明石元二郎の活躍も中々のものだ。
まだ全巻読み終えてないので、読了したら、感想を追加するつもり。  

文庫本で全8巻、読み終わりました。 さすがにちょっと疲れ気味ですが、中々読み応えがありました。 東郷平八郎の自信と言うか覚悟がすごい。 戦艦三笠のブリッジは戦闘で飛沫を被り随分濡れたのに、東郷は戦闘中動かずに立ったままだったため、終わってから靴のあとが濡れずに残っていたとは驚き。 この戦勝で当時の国内は有頂天になったのは東郷さんからするとにがにがしい思いだったのだろう。 あの頃の軍は明治維新直後でもしっかりしていたのだと思う。 日露戦争はやっと講和に持ち込めたと言うのが本当のところなのに、「日本は神国で、連戦連勝だ」と国民が思った・思わせたのがその後の太平洋戦争への突入だった。

結局山本権兵衛の洞察力が東郷さんを選び、日本を救ったのだと理解。 あの日本海海戦を失敗していたら、児玉が頑張っても満州の陸軍は孤立し、結局負け戦さとなり、日本はロシアの属国になるか北海道を取られたのだろうと思うと、あの国力で各国に借金してぎりぎりで良く凌いだものだと、我々は感謝してもしすぎる事はないほどだ。

日清戦争、日露戦争とも相手が国の衰退期だったから何とかなった。 それにしても明治維新から数十年でそこまでやれたのはあの時代の政府・国民が一丸となった熱気がそうさせたのだろう。海軍が薩摩、陸軍は長州が主体だったが結局薩摩の力が救ったのだと思う。

今の自衛隊にその意気がどれだけあるか、国民がどれほど頑張れるかお寒い限りだが、戦後60年間平和を続けている現代の枠組みが大きく壊れないことを願うばかり。  

下の写真は順に、秋山好古、秋山真之、東郷平八郎